2013.2.17、近隣ケアグループの活動発表と講演会
主催:松が丘・つつじが丘近隣ケアグループ
共催:社協八木山連合支部 講演:松が丘連合自治会・つつじが丘連合自治会
近隣ケアグループ活動報告
ボタンティアは13名、対象者は31名 各ボランティアが担当する人を決めて活動をしている。
誕生日のお祝い、近隣ケア員で講演の花壇作りをし、花壇の前でシートを敷いて、ケア員と高齢者の交流を図っている。人生の先輩から有意義はお話を聞かせて頂ける。暑中見舞いや年賀状は、80代で書の得意な方が、世相を入れ込んだものを書いていただけるので、それをみなさんにお届けしている。この方の他にも、花壇の土作り、水やりなどケア員のお連れ合いが協力していただけている。定例会では情報交換をする。7月は防災頭巾作りをした。
赤飯を作ってお持ちしている。これは毎年好評だ。
1月は和菓子をもって訪問した。あるお宅ではいつも乗っている自転車はあるが応答がない。帰って電話をすると「2階にいた。」と。再度訪問し、最近めまいがすると言われていたので、「お元気で良かった。」というと、涙を流してお礼を言ってくださった。
独居の方を訪問したら、開口一番「朝いつも、この窓をかけて置くのでよろしく。」と言われた。今までは言われたことがなかったので、日々不安な気持ちが増していっているのを感じ、見守りの回数を増やさなくてはと思った。
10年後20年後には若い人たちが新しい形でやってくれるのではと期待する。私たちボランティアは見守りながら見守られながらずっと活動して行こうと思っている。
1丁目から7丁目までのそれぞれの活動を報告。2丁目は「松2シルバー・タイムス」と言う福祉・医療・健康等を記事にした新聞を発行し、高齢者宅に配布した。
4丁目は十五夜にちなんで、動いて飾れるカードをケア員で手作りして、和菓子と一緒に敬老の日に訪問してお渡しした。
12月には柔らかいと喜んでいただいたローションテッシュをもって訪問。
5丁目は、かさばって買い物は大変だろうと、トイレットペーパーの柔らかいものをもって訪問。
6丁目はタオルで象を作って訪問。かわいいと喜んでいただいた。
また全員で、防災頭巾作り、「松が丘ふれあいの集い」を実施。今年初めて高校生が自らお手伝いを申し出てくれてうれしかった。
講演会 「もし障害を抱えたらあなたはどうのような生活を望むのか」
特別養護老人ホーム 平田豊生苑 施設長 児玉克己さん
静岡で一人暮らしの88歳の母が、毎年セーターを編んで送ってくれる。今日はその1枚を着てきた。いつも元気で、「家で死ぬんだ」と言っていた。しかしつい最近緊急入院した。病院のベッドで母は「最後には施設へ入れてくれ。」と言った。しかし「絶対、家で死なせてやる。」と私は言った。
(平成24年度 高齢社会白書より、高齢社会の状況について数値をあげて説明があった。)自分で自分のことができなくなってからの人生が男は9年、女は13年ある。この期間どう生きるかが問題。
憲法13条には、すべての国民は個人として尊重される、生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。
とある。また自己決定、自己実現も規定されている。つまり「ひとりひとりが尊厳と価値をもったかけがえのない存在であり、幸福追求の権利をもつ」のだ。そこで皆さんは、どう生きたいかを自己決定することが大事だ。
一般的に、特養は、「性を捨てる、自尊心を捨てる。思い出を捨てる所」と思われがちだ。現代版姥捨て山と言われることもある。そうあってはならない。女性は男性に下の世話をしてもらいたいか。羞恥心まで捨ててはならない。そこで当ホームでは、同性介護をしている。徘徊する人がいても建物に施錠はしない。遠くまで行ってしまわれたこともある。警察の世話にもなった。「もう無理だ。施錠をしよう。」と言う介護者もいた。しかし、自分の親が入所したら、鍵のある建物に閉じ込めたいかと言う議論をし、今に至るまで無施錠で過ごしている。
いつもホーム内で暮らすだけでなく、外へと言うことで、希望を取って、香港にも行った。パスポートを取るのに大変な時間を要した。飛行機から降りるのは、食事を運ぶための真っ暗なワゴンに乗って降りて税関へ行った。国内での1泊旅行では、目的地に段差があるからダメと言う介護者がいた。段差があって困るのは介護者である。住人の立場になれば、段差を越える工夫をすべき。すべては、住人(施設利用者)中心で考える。
「黄泉の国へ」と言う本を作った。これは私のヌード写真集となっている。入浴の写真だ。入浴介助には合羽等を着る施設もある。しかし当ホームでは、裸で介助する。
胃ろうも自己決定が必要だ。誤嚥性肺炎で病院へ行く。肺炎が治ると消化器科へ回され、「また誤嚥して肺炎になりますよ、胃ろうをつけてはどうか。」と家族に提案される。そこでNOと言う家族は1割だ。胃ろうは、アメリカで回復する人のために作られた。それが日本に入ってきて、永遠につけておくのもとして、作られることとなった。今のうちから自分はどうしたいかをしっかり考えて置く必要がある。特養に入らないで最期を迎えるのが一番いい。
市にサポート事業と言うのがある。ワンコインで生活支援をやってくれるというもの。こういうのは、自治会単位で行えばいい。